書物装飾の原点を掘り起こす!ミナコのミラクルドリュールワールド。
ドリュールにまつわる素朴な疑問の数々にフラグム中村が大幅に寄り道しながら迫る!
約3年間滞在したフランスでは製本以外のことも多くを学びました。
いろいろな出来事を総合して考えると、フランスはとても「人間くさい」国だという結論にたどりつきます。
フランス人は本当におしゃべり好きだと思います。
おかずがなくても、おしゃべりだけで白飯(この場合はバゲット、か)がすすみそうなくらい。
暇だなー、と思うと議論を吹っ掛けてきたりします。
そして、スカして気取っているヤツが嫌いです。
他人が話す自慢話は右から左ですが、しくじった話には「ブラボー」が飛び交います。
私も友達に、TGV(フランスの新幹線)でのキセルが車掌にバレて「警察送りか罰金か」とすごまれ、150ユーロを払った話や、何十年かぶりに集合した親族の会合で羽目をはずして粗相した話などをした時は、よくやった!と言わんばかりにとても喜んでくれました。
パリ郊外のアトリエに通っていた時、教室でみんなでお茶をしていた時のこと。
ドリュール担当のおじいちゃん先生が「プルーストにとってのマドレーヌはワシらには糊のにおいだね。」と言っていたこと、パリを引き上げる時にルリユールの先生が言った、「ミナコは穴があいたボロ靴下のように俺を見捨てて帰るんだ」という冗談交じりのフレーズ、道を歩いていた時のこと、前の車がノロノロ運転をしていたので、業を煮やした後続車の運転手が、「そんなにゆっくりしたいんなら、猫連れて田舎にすっこんでろ!」と浴びせた罵声・・・。
この「プルーストのマドレーヌ」や「穴のあいたボロ靴下」、「猫連れて」という本来つけなくてもいいはっきり言ってどうでもいい形容は、文法・発音にうなされてきたフランス語を母国語としない学習者の私にとって、なんというか、ふっと気を抜くのを許してくれた瞬間だったような気がします。
製本学校の授業でマーブル紙の前身である「墨流し」のことを習った時のこと。
確か、「水面に墨が浮いている」というような説明を先生がしていました。
私はその時初めて「浮いている(flottant)」という単語を知ったので、これは使ってやろうと思い、友達に「Je suis toujours flottante. (私はいつも人生を彷徨っている、ぐらいの意味で)」と言いました。一瞬、友達は少し眉をひそめましたが、そのあとに「あんまり日常的にはそういう言い方はしないけど、ミナコが言うと新鮮でいいかもね」と言ってくれました。
私が話すフランス語がフランス人の彼らにとって、どれほどの奇妙さなのかは知ることは難しいですが、外国人の熱意は受け取ってくれるし、話すというコミュニケーションのビームのよってその人のヒトトナリを分析しているのではないかと感じました。
愛さえあれば言葉なんて・・・とはよく言ったもんですが、それは本当でしょうか。
つづく・・・。
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