書物装飾の原点を掘り起こす!ミナコのミラクルドリュールワールド。
ドリュールにまつわる素朴な疑問の数々にフラグム中村が大幅に寄り道しながら迫る!
frgm第1回目のサロン開催まで1ヶ月を切りました。
レクチャーには、雪嶋宏一先生をお迎えして、今日私たちが手にしている書物の祖先でもある、グーテンベルクの活版印刷術発明から1500年までの印刷本・インキュナブラについてお話していただきます。
それに伴い、当時の製本技術はどのようなものだったのか、前編と後編に分けてここミラクルワールドで大まかに(!)触れたいと思います。
修道院でのルリユール
活版印刷術が発明される前は、写本と呼ばれる、人間が手でテクストを書き、縁飾りなどの装飾を羊皮紙(parchemin)に施していました。
テクスト作成からルリユールまで主に修道院で行われ、それぞれの作業は修道士たちが分業していました。ルリユールは長い間、修道院の専売特許だったわけです。表紙装飾の種類としては、革でくるんだものの他に、大小様々な宝石がこれでもかっとちりばめられたもの(reliures d'orfèvrerie)、彫刻した象牙のプレートをはめ込んだもの(reliures d'ivoire)、布でくるんだもの(reliures d'étoffe)がありました。
時が経つにつれ、徐々に一般需要も高まり、主要都市に大学も出来始めると、聖職者や貴族たちだけでなく学生たちも本が必要になってきました。自ら本が買えない学生たちは、必要な本を分冊されたかたちで原本貸出商から借りるというシステム(pecia)を利用して、自分たちで写していました。当時としては、より安くしかも速く写本を生産できる方法でした。学生たちは「歩くコピー機」のような存在だった、といったところでしょうか。
動く活字
手で書き写すほかに、本文丸1ページを硬い木の板の上に彫っていく木版の技術はすでに確立されていました。
最初のころは、1ページの片側のみの印刷で、小さな間違いならばその部分だけをくり抜いて、新たに正しく直したものを埋め込んでいました。その不便さの積み重ねが、ひと文字ひと文字動かして組める活字の出現を促したのかもしれません。
そして、木の活字は摩耗するのが速かったので、丈夫でしかも生産するのがそれほど難しくない金属でできた理想的な活字が渇望されるようになってきました。
そして、あの誉れ高きグーテンベルクによる活版印刷術が誕生します。
本のサイズ・本文紙の変化
ブドウ絞り機にヒントを得て作られたという印刷機で刷られたグーテンベルクの42行聖書は、初期の技術的な困難さにも関わらずとても美しく、完成度の高さに驚くばかりです。それは人の手による写本と同じものを印刷で作ることを目指していたので、お手本としてそのスタイルをそのまま踏襲したことにほかなりません。
そしてルリユールは、かつての写本時代の豪華絢爛な表紙のついた「一点もの」ではなくなりました。印刷機は手引きのものでありましたが、写本と比べると短時間での量産が可能になりました。テクストを印刷するものと言えば、それまでの羊皮紙に代わって紙が使われるようになりました。
15世紀の書物はとても大きく、現在のように立てて本棚にしまうということはなく、横に寝かせて置かれていました。
本の角を保護する金具(cornières)、書見台や重なりあった他の本との摩擦により表紙が痛むのを防ぐために、四隅や中央に飾りびょう(boulons、ombilic)がつけられていて物々しい感じでした。
本文には羊皮紙が使われていまたので、気温の変化によってすぐにたわんでしまう性質を抑えるためにも、おもて表紙とうら表紙でがっちりと閉じ込む必要がありました。それゆえ表紙には厚みのある木の板(ais de bois)が使われ、おもて表紙とうら表紙を留めるために留め具(fermoirs)が1~数か所につけられていました。
分厚い木の板をくるむ革も必然的に分厚くなり、プラス、金属の金具装備で、ごつごつした印象からは逃れられませんでした。
当時コストの高かった紙の節約という面もありますが、ひと文字ひと文字を自由に組める小さな金属活字による活版印刷は、本を軽量化させ、段々とコンパクトなものにしていきました。
活版印刷術の繁栄の一方で、これまで写本に携わってきた職人たち(羊皮紙加工職人や彩色装飾職人、写字生など)は職を失う羽目になりましたが、彼らの中には新たな活路として、文字のデザイナーになったり、レリーフを彫ったりして活版印刷本に適応していく者もいました。
カルトンの導入
金具が装備された大きな書物に使われていた厚みのある木の板は虫に好まれ、その中に入り込んだ虫たちは木の繊維を食べつくし、しまいには本文のテクストにまで侵入して穴を開け、本の劣化を早めていました。
そこで、製本屋は新たなる木の板に取って代わるものを考え出しました。
厚紙・カルトン(carton)の誕生です。
今現在の厚紙とは少し異なり、圧縮ボードのようなものではなく、カルトンは古くなった本のページを束にして重ね合わせたものや、印刷時に失敗してしまったページを貼り合わせて糊づけし、乾かした後プレスにかけて作られていました。
とても価値のあるインキュナブラのミスプリントをカルトンに使用していた製本屋もいたようで、当時の印刷工と書籍商と製本屋の関係性もうかがい知ることができます。
カルトンの軽さゆえに、本文を閉じる力が十分でないのではないか、と懸念する製本屋もいましたが、出来上がった本を見ると表紙はきちんと平行に閉じていて、今までのごつごつしたものから、少しずつシンプルでかつシュッとしたルリユールに変貌を遂げ、これまで重要だった留め具はお役御免となって行きました。
*画像出典: すべて R. Devauchelle 「La Reliure」
つづく・・・。
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